HSA 〜Hokkaido Softball Association〜
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沿革史

 役員名簿 組織図 沿革史 功労者表彰 定款 事務局所在地

沿革・歴史

<1950年>
昭和25年
9月 道教育委員会保健体育課次長川田正徳氏、札幌北高校教諭富田友治氏が中心となり、札幌市立北辰中学校教諭前田彰氏、国鉄職員児玉実氏等の協力を得て創立される。初代会長に山本梅雄氏、初代理事長に富田友治氏が就任。
9月北海道ソフトボール協会承認される。初代理事長に富田友治氏就任される。
6月全道高校大会第2回目が函館市において開催され、函館遺愛女子高校が初優勝。昭和31年第7回大会まで連続6回の優勝をおさめる。
<1953年>
昭和28年
8月 岩見沢市において日本ソフトボール協会第一種公認審判認定講習会を開催し、審判技術ならびにソフトボール競技の向上と普及発達をはかった。この年の全道高校は、岩見沢市で開かれ、函館地区代表の森高校が初優勝する。
<1954年>
昭和29年
4月北海道体育協会は、この年の第9回国民体育大会開催に伴い未結成の団体の強化育成に乗りだし、北海道ソフトボール協会が、道体育協会に加盟することを承認された。
8月第9回国民体育大会(北海道)のソフトボール競技を岩見沢市で開催主管する。
<1957年>
昭和32年
4月南空知協会承認される。
<1959年>
昭和34年
6月第10回全道高校大会にて函館大谷高校初優勝、昭和37年の第13回大会まで3回の優勝。
<1960年>
昭和35年
4月函館協会承認される。
<1964年>
昭和39年
4月釧路協会承認される。
<1965年>
昭和40年
9月ハワイ男子ソフトボールチームが来道。札幌市中島球場でオール北海道チームと対戦。3対1で勝利。
9月第1回全道ソフトボール選手権大会開催。男子の部で国鉄苗工、女子の部で千歳高校がそれぞれ優勝。
6月第16回全道高校大会にて南茅部高校が初優勝し、昭和43年の第19回大会まで4年連続の優勝。
<1967年>
昭和42年
8月第19回全日本一般女子ソフトボール選手権大会は札幌市美香保球場を中心に開催し、本競技を広く市民に理解させ、普及発達につとめた。本道代表とし、野津紡績(芽室)とヤマサンクラブ(千歳)参加。
4月北空知協会承認される。
9月第13回全日一般男子選手権(広島市)に国鉄苗穂工場参加。
<1968年>
昭和43年
4月理事長に前田彰氏就任。
9月全道選手権を3つの部門に分ける。
<1969年>
昭和44年
4月十勝協会承認される。
8月北海道ソフトボール協会創立20周年式典が挙行される。
<1970年>
昭和45年
10月第25回国体(岩手県北上市)に北海道代表として、釧路星園高校、大和スポーツ・クラブ、第11補給隊が初出場する。
<1971年>
昭和46年
4月北海道ソフトボール協会事務局長に尾﨑正則氏就任する。
日高協会承認される。
8月第1回全道中学生女子ソフトボール大会は札幌市立美香保中学校を中心に主催する。この大会で、渡島管内の知内中が初優勝。以後第2回大会と連続2連勝する。
<1972年>
昭和47年
10月第27回国体に一般女子の部のみ出場(帯広クラブ)。道の国体派遣選手3割判滅の方針に従う。(全種目が出場できず、大変残念であった。期待された一般女子チームも1回戦で敗退)
<1973年>
昭和48年
8月第3回の全道中学生女子の大会を全道中体連が正式に認め、第1回中体連主催の大会となる。釧路北中学が優勝。
8月第19回全日本一般男子ソフトボール大会(岩手県)に八雲オリエンタルクラブ出場。
<1974年>
昭和49年
10月第29回国体(茨城県勝田市)に高校女子の部に帯広南商が出場。地元古河二高(茨城県)に惜敗する。
<1975年>
昭和50年
8月第27回全日本一般女子大会(岐阜県)に、8年ぶりに北海道代表として大和スポーツクラブ(札幌市)出場。
1月第30回国体(三重県)より種目が少年男女、成年男女となる。また、選抜方式が採用される。
<1976年>
昭和51年
4月後志協会承認される。
10月第31回国体(佐賀県)に北海道チーム(3種目)出場するが、すべて1回戦で大敗する。
<1977年>
昭和52年
8月第29回高校総体(岡山県)にて、釧路星園高校が北海道としては初の全国大会に1勝をあげる。
(チーム監督は笠井孝美氏)
<1978年>
昭和53年
4月斜綱協会、名寄協会承認される。
10月第33回国体(長野県)にて、成年女子チームが第3位の成績をあげ、今まで不振であったソフトボール関係者に大きな喜びを与える。チーム監督は尾崎正則氏。毎年、開催県に当てられ勝利することがなかったが、ようやく開催県を破ることができた。その後しばらくは開催県とは当たらなかった。
<1979年>
昭和54年
4月小樽地区協会が後志地区協会と名称を変更し、事務局も後志に移る。
4月遠紋協会、北見協会承認される。
11月日本ソフトボール協会創立30周年記念式典で、前田理事長以下7名の方々に表彰状が授与される。
8月第31回全日本一般女子選手権大会(栃木県大田原市)に大和スポーツ・クラブが出場。1回戦、高知県安芸クラブに延長12回の末勝ち、一般女子選手権大会初の1勝をあげる。つづく2回戦、岐阜県ユニチカ垂井と対戦、延長14回0-0で引き分けるが、抽選負けする。
<1980年>
昭和55年
4月留萌協会承認される。
6月第1回全日本クラブ男子・女子選手権大会(山口県)が開催され、「千歳クラブ」、「大和スポーツクラブ」が出場する。
8月第32回全国高校総体(愛媛県)にて帯広南商高が3回戦まで進む。
<1981年>
昭和56年
4月函館地区協会が道南地区協会と名称を変更
8月第2回全日本クラブ男子選手権大会(宮崎県)で、「池田クラブ」が3位に入賞する。
8月第3回全国中学校女子選手権大会(宮崎県)で、「帯広八千代中学校」が3位に入賞する。
8月第1回全国家庭婦人大会(東京都)が開催され、「さっぽろ」が出場する。
<1982年>
昭和57年
旭川協会、根室協会承認される。
8日第2回全国家庭婦人大会(東京都)のスローピッチの部に「札幌白石」チームが初参加する。
<1983年>
昭和58年
4月石狩協会承認される。
7月第23回実業団女子ソフトボール選手権大会が石狩町で開催され、16年ぶりに北海道で全国大会が開催された。
8月第5回全国中学校女子選手権大会(大分県)で「釧路弥生中学校」が3位に入賞する。
10月第38回国体(群馬県)にて、少年女子チームが3位に入賞する。
9月全道ソフトボール選手権大会が、札幌を離れ、各支部協会持ち回りで開催されることになる。
10月帯広南商高の広瀬優子選手が全日本強化選手に選ばれる。
<1984年>
昭和59年
7月第5回全日本クラブ女子選手権大会(鳥取県)で、「大和クラブ」が3位に入賞する。
8月第6回全国中学校女子選手権大会(京都府)で、「白糠中学校」が、北海道で初めての全国優勝をする。チーム監督は西川公丸氏。(北海道の中学校は全国でも上位にランクされていたが、ついに初めての「優勝」が出来て、北海道のソフトボール関係者を喜ばせてくれた。)
<1985年>
昭和60年
8月第7回全国中学校女子ソフトボール選手権大会が石狩町で開催される。
8月第5回全国家庭婦人大会(東京都)のスローピッチの部で、「札幌東ライラック」チームが3位に入賞する。
<1986年>
昭和61年
3月全国高校男子選抜大会(神奈川県)に「石狩南高」が初出場する。(「はまなす国体」に向けて少年男子チームの強化に入ることが出来た。指導者に小笠原聡氏をむかえる)
4月理事長に尾崎正則氏、事務局長に安倍幸博氏が就任する。「はまなす国体」を前に責任重大。まずは国体を成功させることに全力を尽くす。
8月第21回全国高校総体(鳥取県)に男子としては初めて、「石狩南高」が出場する。
9月'86ニチイ・ジャパン・カップ(国際女子ソフトボール大会)が、札幌市麻生球場で開催され、アメリカ・ニュージーランド・台湾・フィリッピン・日本の優秀選手が参加する。(北海道では初めての女子の国際大会、北海道出身の選手が出場できなかったのが残念だった。)
11月第1回全国壮年大会(山梨県)が開催され、ミドルクレージー八雲チームが出場する。
11月地崎字三郎会長が逝去
<1987年>
昭和62年
3月会長に地崎昭宇氏が就任する。
8月第39回高校総体(女子)、第22回高校総体(男子)ソフトボール競技が全国初めて、同一会場で同時に石狩町で開催される。(今までにない、男女同時開催、北海道らしさを見せることが出来た。)女子代表の帯広南商高、北海道で初のベスト8入りをする。また、男子代表の札幌旭丘高が男子で初の全国大会1勝をし、大会新記録を12つくる。
8月'87ニチイ杯、全国ママさんソフトボール大会が大阪で開催される。
<1988年>
昭和63年
7月第9回、全日本クラブ女子ソフトボール選手権大会(青森県)で「大和クラブ」が、全国優勝する。
8月第2回全日本ママさんスローピッチ大会(香川県)で、「札幌ライラック」チームが準優勝する。
9月第34回全日本一般男子ソフトボール選手権大会が石狩町で開催される。北海道代表の「北恵庭自衛隊」チームが一般男子大会初の3位入賞を果たす。
10月第43回国体(京都府)で、少年女子、成年女子チームが3位に入賞し、皇后杯を獲得する。
9月「大和クラブ」全道選手権の一般女子の部で、10年連続優勝を果たす。
<1989年>
平成1年
4月室蘭地区協会が胆振地区協会と名称を変更。
4月胆振協会承認される。
4月副理事長に栗田民次氏が就任する。
7月協会創立よりの功労者、前田 彰顧問逝去。
8月第10回全日本クラブ女子ソフトボール選手権大会(山口県)に出場の「大和クラブ」チーム、63年に続き、二年連続優勝を果たす。
9月第44回「はまなす国体」が石狩町で開催され、少年男子、少年女子、成年女子が優勝し、成年男子1部、成年男子2部が3位に入賞し、総合優勝(天皇杯)、皇后杯(2年連続)を獲得する。(全国で初めての一会場(8面グランド)で全国のソフトボール愛好者をびっくりさせる)
9月第25回全国身体障害者スポーツ大会(盲人野球)が、札幌市月寒公園野球場にて、天皇、皇后両陛下の御臨席を賜わり開催される。(天皇、皇后両陛下の御臨席は大会では初めてであった)
御説明役を理事長の尾﨑正則氏が務める。
10月「大和クラブ」のクラブ選手権大会の2年連続優勝の功績により、北海道スポーツ賞を受ける。
<1990年>
平成2年
4月宗谷協会承認される。
4月事務局長に加藤 敦氏が就任する。
6月「はまなす国体」優勝の少年男子、少年女子、成年女子チーム、北海道体育協会より表彰を受ける。
8月第4回全日本シニアソフトボール選手権大会が滝川市で開催され、北海道からも4チーム出場する。
10月北海道ソフトボール協会、平成2年度支部大臣表彰(社会体育優良団体)を受ける。
10月第45回国体(福岡県)で成年女子チーム準優勝する。(地元福岡県を破り、決勝に進出したが強豪の群馬県に敗れ、2年連続優勝は出来なかった)
11月北海道ソフトボール協会、創立40周年記念式典が挙行される。(あわただしい日程で準備に入り、実行委員の皆様には大変ご苦労をいただいたが、無事に終える事が出来た。初めての記念誌も完成)
<1991年>
平成3年
9月第43回全日本一般女子ソフトボール選手権大会が倶知安町で開催される。
10月第46回国民体育大会(石川県)少年女子が3位に入賞する。
<1992年>
平成4年
3月北海道ソフトボール協会規約改正される。
8月日本女子ソフトボール東日本リーグ(3部)が石狩町で開催される。
<1993年>
平成5年
8月第7回全日本小学生女子大会(滋賀県)札幌エンジェルスが3位に入賞する。
<1994年>
平成6年
8月第16回全国中学校女子・第6回全国中学校男子ソフトボール大会が倶知安町で開催される。
8月第8回全日本小学生女子大会(滋賀県)ラッキーガールズが準優勝する。
10月第5回東北・北海道選手権大会で芽室クラブが準優勝する。
<1995年>
平成7年
8月第17回全国中学校女子大会(群馬県)で札幌もみじ台中学校が準優勝する。
9月第4回全国実年ソフトボール大会が石狩町で開催される。
<1996年>
平成8年
7月第36回全日本実業団男子ソフトボール選手権大会が道南の江差町で開催される。
9月ゆうあいピックが札幌市で開催される。
高円宮殿下、同妃殿下がソフトボール競技を観戦される。御説明役を理事長の尾﨑正則氏が務める。
7月日本女子ソフトボール東日本リーグ(3部)が札幌市で開催される。(昭和42年の全国大会以来、30年ぶりの全国規模の大会が札幌市で開催)
8月第49回全国高校総体(京都府)にてとわの森三愛高校3位に入賞する。
8月北海道・カナダ・アルバータ州親善スポーツ交流がジュニア女子ソフトボール選手団を招聘し、札幌市、石狩市、帯広市、江別市の4市において親善試合を開催される。(10年来の希望がようやく実現する)
10月第8回ミズノオープン男子東北・北海道ソフトボール大会で八雲クラブが初優勝する。
<1997年>
平成9年
10月第52回国民体育大会(大阪府)成年男子2部が3位に入賞する。
10月第8回ミズノオープン男子、東北・北海道選手権で八雲クラブが優勝する。
<1998年>
平成10年
3月今年度より副理事長を2人制にする。副理事長に西井吉直氏が就任する。
8月第44回全日本教員ソフトボール選手権大会が滝川市で開催される。
8月北海道・カナダ・アルバータ州親善スポーツ交流が北海道ジュニア女子ソフトボール選手団(21名)をカナダに派遣し、8試合の親善試合や交流が行われる。(北海道ソフトボール協会初の海外遠征)
(チームリーダーに尾﨑正則氏、監督に矢端信介氏)
9月日本ソフトボール女子リーグ1部が石狩市で開催される。本道初の有料大会。
9月第3回全日本レディース大会(石川県)でJA豊頃町が初優勝する。
<1999年>
平成11年
4月会長に木本由孝氏が就任する。
6月尾崎理事長が世界ジュニア女子選手権大会の団長を務め、見事優勝。北海道出身(とわの森三愛高校)庄子麻希選手、代表に選ばれ活躍。
7月第39回全日本実業団女子ソフトボール選手権大会が倶知安町で開催される。
10月第10回ミズノオープン男子東北・北海道ソフトボール大会が石狩市で開催
11月北海道ソフトボール協会創立50周年記念式典が挙行される。
<2000年>
平成12年
3月評議員会(役員改選,登録料・認定料などの改正,規約改正)
7月第21回全日本クラブ男子選手権大会を石狩市で開催される。
種田良一副会長逝去
<2001年>
平成13年
1月評議員会(会計年度を変更し、1月1日~12月末日までとなる)
12月第1回道新スポーツ杯争奪全道ジュニア選抜大会開催(札幌つどーむ)
<2002年>
平成14年
1月評議委員会(役員改選、規約改正、会長推薦理事の年齢制限)
2月日本ソフトボール協会専務理事に北海道ソフトボール協会理事長の尾崎正則氏が就任。
4月理事会にてIT化に伴うパソコン導入を決定
5月日本リーグ1部第5節を石狩市で開催される。
8月第54回全日本高等学校女子選手権大会(茨城県)でとわの森三愛高校準優勝
8月第11回全日本実年ソフトボール大会を倶知安町で開催される。
10月ミズノオープン男子東北・北海道大会で名寄クラブ優勝
全道選手権を高校選抜大会と一般種別大会の分離開催
<2003年>
平成15年
1月評議員会
8月第25回全国中学校男子・女子選手権大会を石狩市で開催される。
9月第17回全日本シニアソフトボール大会を遠軽町で開催される。
<2004年>
平成16年
1月評議員会(事務局長に寺村健人氏が就任)
<2005年>
平成17年
1月評議員会
7月IOC総会で、2012年ロンドンオリンピックから野球・ソフトボール協議の除外を決定。
8月第57回日本高校女子選手権大会(千葉県)でとわの森三愛高校第3位となる。
9月第10回全日本エルダー大会を倶知安町で開催される。
9月第10回全日本レディース大会(福井県)でNAN'Sが第3位になる。
10月第60回国民体育大会ソフトボール競技女子準優勝
<2006年>
平成18年
1月評議員会(役員改選、筆頭副会長と理事長代行を置く)
4月理事会にて全競技種目別で皮ボール使用を決定
7月第46回全日本実業団女子選手権大会を遠軽町で開催される。
8月奥京子事務局員退職し竹澤満子事務局員就任
9月第11回全日本レディース大会(新潟)でGLOW-NINEが3位になる。
9月日本女子リーグ1部第7節を遠軽町で開催される。
10月ISF総会で日本ソフトボール協会理事、尾崎正則氏が国際ソフトボール連盟(ISF)のアジア地区代表副会長に就任
<2007年>
平成19年
1月評議員会(北海道総合体育センター)
5月北海道ソフトボール協会理事長日本ソフトボール協会専務理事「尾崎正則」氏が、藍綬褒章を受章
6月日本女子ソフトボールリーグ1部第5節釧路大会が開催される。
8月第59回全日本高等学校女子選手権大会(佐賀県)でとわの森三愛高校が3位になる。
8月第12回全日本レディースソフトボール大会(倶知安町)が開催される。
11月北海道ソフトボール協会会長・副会長会議(札幌サンプラザホテル)
<2008年>
平成20年
1月評議員会(北海道総合体育センター) 役員改選
7月第29回全日本クラブ男子ソフトボール選手権大会(遠軽町)が開催される
9月日本女子ソフトボールリーグ1部第6節石狩大会(3回目)が開催される。
同年、北京で開催されたオリンピック優勝投手「上野由岐子」が凱旋登板
11月地﨑昭字前会長がご逝去。
<2009年>
平成21年
1月評議員会(北海道総合体育センター)
5月女子U16日本代表監督に、矢端信介氏が就任
5月日本女子ソフトボールリーグ1部第4節帯広大会が開催される。
7月第30回全日本クラブ女子選手権大会(京都府)でKG-SHE'Sが3位になる。
11月北海道ソフトボール協会創立60周年記念式典が挙行される。
<2010年>
平成22年
1月評議員会(北海道総合体育センター) 役員改選
4月理事長に寺村健人氏就任。
日本ソフトボール協会副会長に尾﨑正則氏就任。
9月日本女子ソフトボールリーグ1部第6節函館大会が開催される。
10月ミズノオープン男子東北・北海道大会(石狩市)が開催される。
<2011年>
平成23年
1月評議員会(札幌サンプラザホテル)
8月第26回全日本壮年ソフトボール大会(倶知安町)が開催される。
9月日本女子ソフトボールリーグ1部第6節札幌大会が開催される。
第1日目第2試合降雨のため、3日目に順延し実施
11月ジュニア層の充実と拡充対策委員会発足
<2012年>
平成24年
1月評議員会(札幌サンプラザホテル) 規約改正
主な改正内容
・4ブロック制 ・理事の選出で会長、副会長が理事となる
・副会長の選出基準が第1号、第2号、第3号副会長とする
新基準副会長
・第1号副会長 岩本剛人氏、笹山武市氏、星 保行氏
・第2号副会長 笠井孝美氏 
・第3号副会長 岡田 宏氏、長沼 薫氏、浅野隆之氏選出
6月日本女子ソフトボールリーグ1部第6節函館大会(2回目)が開催される。
7月第52回全日本実業団男子ソフトボール選手権大会(帯広市)が開催される。
<2013年>
平成25年
1月評議員会開催
3月日本ソフトボール協会公式記録員1種認定会開催(江別市)
6月野崎良夫氏が、公益財団法人 北海道体育協会表彰を受賞
青野 誠氏、柴崎 晃氏が公益財団法人 日本ソフトボール協会支部表彰を受賞
6月日本女子リーグ1部第5節が小樽市で開催される。
7月第34回全日本クラブ女子ソフトボール選手権大会が石狩市で開催される。
8月第5回ミズノカップ東日本小学生女子大会が帯広市で開催される。
<2014年>
平成26年
1月評議員会・役員改選(札幌サンプラザホテル)
新任として第2副会長に加藤敦氏、第3号副会長に本林康雄氏就任
事務局長に菅野晶毅氏就任
新任として第2号副会長に 加藤 敦氏、第3号副会長に本林康雄氏 就任
事務局長に菅野昌毅氏就任
3月第32回全国高等学校女子ソフトボール選抜大会(千葉県)で、とわの森三愛高等学校が全国優勝を成し遂げる快挙
5月日本ソフトボール協会公認審判員1種認定会開催(江別市)
6月日本女子リーグ1部第5節が釧路市で開催される。
6月加藤 敦氏 とわの森三愛高校が、公益財団法人 北海道体育協会表彰を受賞
6月平原 隆氏が公益財団法人日本ソフトボール協会支部表彰を受賞
7月第23回全日本小学生女子ソフトボーされる。
<2015年>
平成27年
1月評議員会・役員改選(札幌サンプラザホテル)
5月日本女子リーグ1部第5節が旭川市で開催される
6月山岡利博氏が公益財団法人日本ソフトボール協会支部表彰を受賞
江端信太郎氏、青野誠氏が公益財団法人北海道体育協会表彰を受賞
8月第61回全日本教育選手権が帯広市で開催される
10月第70回国民体育大会ソフトボール競技少年少女第3位
<2016年>
平成28年
1月評議員会・役員改選(札幌サンプラザホテル)
新任として第3号副会長に笹末京次郎氏就任
事務局長に吉野友昭氏就任
2月竹澤事務局員退職し千葉事務局員就任
5月日本女子リーグ1部第5節が旭川市で開催される
6月伊藤高行氏が公益財団法人日本ソフトボール協会支部表彰を受賞
笠井孝美氏が、公益財団法人北海道体育協会表彰を受賞
9月第15回全日本エルデスト大会が倶知安町で開催される
<2017年>
平成29年
1月評議員会・役員改選(札幌サンプラザホテル)
5月日本女子リーグ1部第5節が旭川市で開催される
6月只野慶勝氏が公益財団法人日本ソフトボール協会支部表彰を受賞
塚本剛史氏が、公益財団法人北海道体育協会表彰を受賞
9月第31回全日本シニア大会が石狩市で開催される
10月日本ソフトボール協会公認審判員1種認定会開催(石狩市)

TEL 011-820-1675

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